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SaaSにおけるプライシングの設計と運用

2024-4-4

宮田 善孝 / Yoshitaka Miyata

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ダウンサイドの市況感が続く中、SaaS業界にもARPA(Average Revenue Per Account)向上の機運が高まってきています。Horizontal SaaSでもVertical SaaSでもSMBからエンタープライズへのシフトは起こっており、ARPAを向上させる大きなトレンドの1つです。

直接ARPAに貢献するのは、プライシングです。昨今の市況感を踏まえ、Per User課金から質的な転換を図る事例が相次いでいます。カスタマーサクセスツール「Intercom」はアドオンの導入を行い、ビジネス用メッセージングアプリ「Slack」は利用の障壁を下げるために、Active課金を導入しています。本記事では、SaaSにおける価格設定の基本から日々の運用まで解説していきます。

プライシングの位置付け

SaaSにとって、プライシングは2つの視点から非常に重要な位置付けになっています。

まず、ユーザーとのコミュニケーションの観点で、SaaSはユースケースに併せて機能をバンドリングし、複数の価格設定を行います。ユーザーは何がどこまで使えるのかを確認しながら、それに対する費用を把握し、営業を受け、導入を検討します。最終的に、発注なのか、検討に留まるのか判断を行います。

つまり、SaaSというプロダクトはバンドリング、プライシングにより提供物自体が可変であり、それらを通してユーザーからフィードバックを受けることになります。バンドリングとプライシングはユーザーとの対話を行う媒介なのです。

また、SaaS企業内に目を向けると、プライシングはプロダクトとビジネスの架け橋となっていることに気づきます。プロダクトサイドはプロダクトを通してユーザーへの価値創出を企画し、開発を進めていきます。他方ビジネスサイドはプロダクトを直接ユーザーに届け、実際の価値創出を担います。つまり、ユースケースを元に機能をバンドリングし、プライシングしていくことはプロダクトサイドとビジネスサイドが手を取って行うべきものであり、製品が事業になる起点になるのです。

プライシングはユーザーとの対話の起点の一翼を担い、社内でもプロダクトとビジネスの架け橋という非常に重要な役割を担っているにも関わらず、プライシングに真摯に向き合い、取り組んでいる企業は多くはありません。ソフトウェアをパッケージで販売していたときは、固定価格にならざるを得ませんでした。しかし、SaaSは流動的なユーザーのニーズを踏まえ、Agility高くプロダクトを進化させることに競争力があります。そのため、硬直的なプライシングを採用することはSaaSであるメリットの片翼を使わずに飛んでいるようなものです。

どこか日本には安さを維持することに美徳感があります。もちろん企業努力により生産コストを抑えることは重要ですが、プロダクトが提供している価値が上がっているのであれば、きちんとユースケースを言語化し、プライシングを設定し直すべきでしょう。

バリューベースとコストベース

プライシングを設計していく上で、大きな分水嶺になるのが、バリューベースとコストベースという考え方です。読んで字のごとく、バリューベースはプロダクトを活用する上で創出されるユーザー価値をベースにプライシングする考え方です。 後者のコストベースはプロダクトを導入することで、業務改善による効果をベースに設計されます。

例えば、プロジェクト管理系のプロダクトを例に取って説明すると、プロジェクトの進捗やリソースの管理をタイムリーに行うことで、インバウンドで問い合わせがあった時、即座に受注できるかどうか、受注すべきかの判断ができれば、売上向上が見込めます。何もSaaSを導入していないと、運用しているSpreadsheetの稼働状況が最新かどうか聞いて回って、なんとか回答することになり、顧客を逃してしまう怖れがあります。この売上向上をベースに価格算定するのがバリューベースになります。

他方、コストベースの考え方では、専任を1名立てて、顧客管理、案件の管理を行い、勤怠情報から勤務時間を抽出し、個々の従業員にプロジェクトごとの稼働割合を提出してもらい、稼働状況を把握していたとします。SaaSを導入することで、この専任で集計を行っている方のコストがどの程度浮くことになるのかを起点にプライシングすることを指します。

当然ですが、ビジネスの判断基準として導入の意思決定はバリューベースで行うべきで、プライシングもそれに併せてバリューベースで行う方が高く設定でき、USを中心に採用されている考え方になります。しかし、どれだけ売上向上に効くかは推測の域を出ず、保守的な意思決定を行うと、コストベースで行ったほうが堅実といえます。そのため、国内ではまだまだコストベースでプライシングしている企業が多いように思います。

チャージモデルと価格

プライシングの構成要素として、チャージモデルと価格が挙げられます。前者のチャージモデルは課金するときの手法を定義したものになります。価格は文言通り、金額を設定したものになります。

具体的にチャージモデルには、大きく5つの手法があります。Flat Fee、Stairstep、Per User、Tiered、Volumeの5つです。

1. Flat Fee
Flat Feeは、SaaSの中でも最も馴染みがあるチャージモデルの1つで、定額課金を指します。利用している期間、月額、年額いくらのような形で、毎月定額利用料金をもらう形式になります。

2. Stairstep
Stairstepは、Flat Feeを少し進化させた形式で、何かしらの機能の利用量をレンジに分けて、各レンジで定額課金する形式です。例えば、請求書関連のSaaSで、請求書何通まで月額いくらというような課金の仕方を指します。

3. Per User
Per UserもFlat Feeと並んで、一般的なチャージモデルです。その名の通り、ユーザー数に応じて課金する形式を指します。事前に枠を購入し、導入企業においてIDを割り振っていく形式と、毎月利用したユーザー数に応じて課金を行うActive課金の2種類があります。

4. Tiered / 5. Volume
TieredとVolumeは混同しやすいので、一緒に説明します。双方とも、Stairstepと同じく何かしらの機能の利用量をレンジに分けて、それぞれのレンジで課金する形式を変えるものになります。Tieredは利用した量をレンジごとに分割し、各レンジの単価を掛けあわせて、総和を請求額とします。逆にVolumeは利用量の総額に当てはまるレンジの単価を掛けて請求額とします。

例えば、以下のように利用量に応じて価格が設定されていたとします。

利用量が300の場合、Tieredでは、100×10,000+100×9,000+100×8,000=2,700,000になります。他方、Volumeでは300×8,000=2,400,00になります。

このように、Tieredの方が、何個買っても、最初の方は高い単価になるため、収益性が高くなります。Volumeは個数に応じて単価が決まることから、多くの数量を販売しやすくなります。上のグラフの通り、レンジの境目では利用量を増やしたほうが価格が安くなってしまうケースが出てくるので注意が必要です。

価格設定方法

個別の価格を設定するための分析手法にフォーカスを当てるのではなく、プロダクトとプライシングは、プロバイダーとユーザーをつなぐコミュニケーションです。 そのため、①誰に対して ②何を提供したときに ③どんなチャージモデル、④いくらなのかを一連の流れで捉え、決めていくことが何よりも重要です。

複数業界や複数のユースケースに対応したプロダクトの場合、まずは実現しているユーザーストーリーを整理しなければなりません。まずは、①誰に対して ②何を提供するのかを主軸に整理していきます。その後、定性、定量調査を掛けていくことになります。プライシングの分析といえば、PSM分析やコンティンジェント分析が有名ですが、BtoBの場合、ターゲット企業数が少ないことが多く、ある程度セグメンテーションして集計していく必要があるため、厳密に優位差を担保し調査を進めるには、かなり高額な分析費用がかかる可能性があります。そのため、インタビューを主体に設計することの方が多いです。

インタビューでは、主にWillingness to Pay(WTP)を確認し、その背後にあるアンカリングしているものを具体化していくことになります。まず、WTPとはユーザーがそのプロダクトにいくらまでなら払う意志があるかということです。一通りプロダクトの説明を終え、率直に使ってみたいか、現状の業務課題を解決しそうかを確認した流れで、WTPを問いかけていくことになります。

そして、WTPとして示された金額には何かアンカリングした対象があります。競合や周辺サービスの金額感や、自社プロダクトの価格感、アルバイトに業務を任せている場合はその方のアルバイト代などに、アンカリングされることになります。アンカリングされている対象を超えて高い価格を訴求したいのであれば、機能やユーザー価値の側面で勝る必要が出てきます。WTPを基準にターゲットユーザーを様々な軸でセグメンテーションし、最終的に3−4つ以下のプランに落とし込んで行くことになります。金額の多寡を決めるに当たって、1点注意すべきことは、インタビューという形式ゆえ、インタビュイーはせっかく呼んでもらえたし、いいことを言わないとというバイアスを持っていることが多いように思います。また、実際プロダクトの導入を喫緊検討していればいいのですが、今後検討する予定ぐらいだと、競合の機能や価格感を抑えていなかったり、前提知識がない状態での回答になります。そのため、いいことを言ってもらえたとしても7掛けぐらいで割り引いて捉えていたほうがよいでしょう。

なお、BtoBの中でもHorizontal SaaSで、SMB向けのプロダクトの場合はかなり多くのターゲットユーザーがいる可能性があるので、この場合に限って、先にPSM分析やコンティンジェント分析を活用する余地があります。またABテストを行い、実際のユーザーの反応を見て決めることも検討できます。

運用

運用面を語る上で、本当にプライシングは後回しにされがちです。冒頭でも記述した通り、ARPAに直結する重要な要素であり、感覚的ですが、プロダクトロードマップと同等レベルで取り組んでもよいぐらいの重要度だと思います。

新規プロダクトのリリースやプライシング全体の見直しについては、価格設定方法で示した手順に沿って進めていくことになります。ただし、プロダクト開発は暫時的に行われており、毎週、毎月新しい機能開発が行われています。そのため、新しい機能が出たときに、どのプランにバンドリングするのかを検討することになります。その際、プロダクトマネージャーは機能の企画を行っており、できるだけ多くのユーザーに使ってほしいので、できるだけ下位プランにバンドリングすることを提案しがちです。他方、ビジネスサイドが検討すると、各プランの価値を向上していきたいので、できるだけ上位プランに入れがちです。このように短期的にはわかりやすく利害相反するので、1−3年後のARR最大化や、個々のプランにおけるユースケースや意図を解釈し機能を評価したり、中長期的な目線に立って、議論することが必要です。

プライシングの運用は、主体となる人も企業によって差があります。営業、プロダクトマーケティングマネージャー、プロダクトマネージャーの3つが挙げられます。営業起点だと、ユーザーに最も近く、ユーザーからのフィードバックを強く反映できます。プロダクトマネージャーの場合は中長期目線でユーザー価値に焦点を当て検討を進めます。プロダクトマーケティングマネージャーは営業とプロダクトマネージャーのいいとこ取りです。

まとめ

SaaSという提供手法を採用する上で、プライシングは1つの強みになります。変わりゆくユーザーニーズに併せて開発を進め、バンドリング、プライシングを常に変え続けることで、ユーザーとコミュニケーションしていくことこそ、SaaSの醍醐味の1つです。 昨今、ダウンサイドの市況感を迎え、プライシングは見直されるべきテーマであり、この状況を打開できるポテンシャルを秘めています。本記事がプライシングを捉え直すきっかけになれば、幸いです。

参考

SaaSプロダクトマネジメントGo-To-Market

著者について

宮田 善孝(みやた よしたか)。京都大学法学部を卒業後、Booz and company(現PwC Strategy&)、及びAccenture Strategyにて、事業戦略、マーケティング戦略、新規事業立案など幅広い経営コンサルティング業務を経験。DeNA、SmartNewsにてBtoC向けの多種多様なコンテンツビジネスをデータ分析、プロダクトマネージャの両面から従事。その後、freeeにて新規SaaSの立ち上げを行い、執行役員 VPoPを歴任。 現在、日本CPO協会理事、ALL STAR SAAS FUNDのPM Advisorに就任。米国公認会計士。『ALL for SaaS』(翔泳社)刊行。


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