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日産、資生堂を改革した「プロ経営者」からの学びを、若きリーダーたちに伝えたい|亀山満氏
2023-3-24
カルロス・ゴーン氏率いる変革期の日産自動車(以下、日産)でグローバルプロジェクトを手がけ、プロ経営者として知られる魚谷雅彦氏とともに資生堂をスピーディな意思決定ができるグローバル企業へと変革。そしてコロナの渦中で歴史ある製造業大手、三菱マテリアルのDXを推進——。日本を代表するエンタープライズ企業において、数々の本質的な改革をIT面から支えてきたのが、グロービングのシニアエグゼクティブアドバイザーでコネポジの代表を務める亀山満氏です。
亀山氏が変革を推進する上で大事にしているのは「企業や組織のありたい姿と、それを実現するために変えるべき価値軸を明快に示す」「覚悟を持って本気でやり切る」「仲間を巻き込んで一丸となって戦う」「チャレンジを応援し、失敗を責めない」ということ。亀山氏がこのような価値観を大事にするようになった背景には、どんなプロジェクト経験があり、どのようなプロ経営者からの学びがあったのでしょうか。話をお聞きしました。
改革者としてのコアが形成された壮絶なプロジェクト経験
──亀山さんのインタビュー記事には、「覚悟」「本気」という言葉がよく出てきます。これはまさに改革者に欠かせない心構えだと思うのですが、亀山さんが最初に“腹をくくる”経験をしたのは、どのようなプロジェクトだったのですか。
最初に覚悟を試されたのは、日産時代のテレマティクスカープロジェクトですね。今では車とITの連携はあたりまえですが、私がこのプロジェクトを任された20数年前は、まだこの分野は黎明期で、サービスをイメージすることすら難しい時代でした。そんな時に、車とITを連携するプロジェクトを任されたのです。当時は自動車業界が、新たな時代に入ろうとする幕開けの時期で、さまざまなアライアンスが生まれつつありました。その一つが、米ゼネラルモーターズ(以下GM)が主導するプロジェクト。同社はオンスターという車載テレマティクスサービスを立ち上げ、そこにトヨタが参画することが決まっていました。
同じ時期、米自動車大手のフォードが同様のサービスを始めることを発表し、日産はフォード陣営と組んで車のIT化を進めることになりました。私はこのグローバルプロジェクトのリーダーに任命されたのです。このプロジェクトは、通信を受信する装置や表示のための装置を車に装備し、フォードが開発した通信センターとコミュニケーションすることで、ドライブに役立つ情報や街の情報を車内で取得できるようにする、というもの。フォードが中心となり、ルノーや日産をはじめ、さまざまな自動車会社を巻き込んだプロジェクトでした。
その中でも日産は、世界初のサービス実装会社になることを目指して、車の開発を進めていました。研究部隊や開発部隊、営業部隊と協力しながら、「まだこの世に存在しない新しいサービスで世の中を面白くしよう」という思いを胸に、さまざまな苦労を乗り切って、ようやく2002年の8月にテレマティクス対応の車を米国で発売する、というところにこぎつけたのです。
しかし、2002年に入るとフォードの経営が悪化しトップが交代し、本業に注力するという方針を打ち出したのです。この時、嫌な予感がしたのですが、6月にフォードはテレマティクスサービスの会社を清算することを決定したんです。日産のテレマティクスカーは、フォードの仕組みを前提に開発していたので、このままでは苦労して開発してきた車載機器が役に立たなくなってしまう。当時、COOだったカルロス・ゴーン氏に状況を説明したところ、「何とかしろ」というわけです。「(ライバル陣営の)GMに頭を下げて、サービスを使わせてもらえ。今日、話してこい」と、無茶なことを言うんですよね(笑)。
「ライバルだった会社に頭を下げてもすぐに対応なんて、できるわけがない。これはもう、ヤバいぞ」と思いながらも、このままだと数百億円の投資が水の泡になるし、何より仲間たちと必死の思いで開発した装置がムダになってしまう。この時は、本当に追い詰められて八方塞がりの状況でした。でも、そんな中で悲壮感に押しつぶされずにすんだのは、プロジェクトの仲間たちのおかげでした。この状況を自分の力だけで変えることなんてできるわけがない。いくら気合いを入れたところで、一人で提案なんてできないですよね。そうしたらもう、周りを巻き込むしかないわけです。
開発部隊や研究所、営業部門の人たち、外部の有識者、パートナー企業の人たち……彼らを巻き込んで一緒にやるしかない、と思ったんです。「どうしようもなく厳しい状況であることはわかっている。でも、やれることは何でもやるしかない」と覚悟を決めたのは、この時でした。それからはチーム一丸となって打開策を考えぬき、私は飛行機を乗り継いで交渉から交渉へ——という戦いの日々が続いたのです。
しかし、覚悟を持って交渉を続けたものの、最終的にはうまくいかなくて、グローバル大手とのプロジェクトは打ち切りになってしまいました。こうしてプロジェクトは失敗に終わったわけですが、この経験からは、後の仕事人としての指針になることをいろいろと学んだと思っています。一つは、「チャレンジの結果、失敗したことを責めず、そこから学ぶ」ということ。
実はこのプロジェクトが終わった時、当時、上司だったルノー出身の副社長が、私にこう言ったんです。「私たちはここで立ち止まってはいけない。これからの時代、車には必ずITが搭載されていくはずだから、私たちがやったことは決して間違いじゃない。多くの知見を得たし、チームメンバーは残っている。他のパートナーを見つけて、この取り組みを進めていこう」外野からはプロジェクトの失敗を責められることもありましたが、直属の上司はプロジェクトの本質を理解してくれていたんですね。そして「日産のこれからのためにがんばりましょう」と言ってくれた。
昨今ではよく、DXの文脈の中で「失敗から学ぶことが大事」「チャレンジは大事」という言葉を耳にしますが、それが会社のメカニズムに組み込まれているかというと、必ずしもそうではないこともしばしばです。でも、当時の日産の副社長は違った。彼の言葉がなければ、私は失敗から立ち直れなかったかもしれません。
この出来事をきっかけに、私も部下の失敗を責めず、そこから共に学ぼうと言えるリーダーになろう、と決意しました。この出来事は、ルノーとの資本提携によって日産の文化が変わり始めたことの象徴だったとも思っています。もう1つは、「覚悟を決め、パッションを持って本気でプロジェクトをやり切ることの大切さ」です。課長という肩書きのまま、グローバルプロジェクトの難しい局面での交渉をやり切ったことは、失敗に終わったとはいえ、自分の中に蓄積されたものはとても大きく、達成感がありました。このプロジェクトを経験してからは困難なプロジェクトでも、恐れず、立ち向かうことができるようになったのです。
難しいと思うプロジェクトでも、自分がやりたいと思ったら、その瞬間に「やります!」と宣言する。そこで覚悟を決めて、人を巻き込む。最初から誰もが協力してくれるわけではないですが、どう説明したら興味を持ってもらえるのかも、数々のプロジェクトを経験するうちに身についてきましたね。覚悟を決め、本気で動かなければ、困難な局面で周りを巻き込むことなどできません。進む道を明快に示し、自ら覚悟と情熱を持ってプロジェクトを進める。失敗を責めず、そこから学び、成長する——という、私が仕事を進める上で大事にしていることは、このプロジェクトで形づくられたように思います。
──企業の文化が大きく変わる瞬間に立ち会ったことが、その後の亀山さんの仕事に対する考え方を大きく変えたのでしょうか。
そう思いますね。ルノーと資本提携をする前の日産自動車は、歴史ある日本の会社にありがちな、いわゆるヒエラルキー型の組織構造でした。例えば当時、課長だった私が何かを提案する際には、まず部長にお伺いを立てて、その次に担当取締役に上申し、それが通って経営会議に提案できたとしても、事前に役員の方々に会ってネゴシエーションして——という込み入ったプロセスが必要で、意思決定に長い時間がかかっていました。
これがルノーのマネジメントになったとたん、ガラリとかわったのです。一言でいうと、意思決定がロジカルでスピーディーになったんですね。「何のためにやるのか、どんな効果があるのか、実現に向けて何をするのか」——が明確であれば、課長だろうが誰だろうが、そのプロジェクトを一番理解している人が、提案するのが当然、という考え方なんです。
経営陣もロジックが明確で、会社の成長に貢献する提案であれば時間をとって話を聞く、という考え方で一貫していました。この時代に日産の組織文化は大きく変わり、意思決定のスピードがぐんと上がりましたね。それまで長い時間をかけて上申していたことが、電子起案したら即座にゴーンにメールが飛び、「ゴーンがやると決めた案件」については1分後には決裁される、というスピーディーな意思決定に変わったことには本当に驚きました。 こうした改革が当時の日産のV字改革につながったことは、みなさんもご存知の通りです。
変革を起こす経営者から教えられたこと
──亀山さんは、ビジネスの世界で改革者として知られるプロ経営者の方々とともに改革を推進してきました。彼らからどんなことを学んだのでしょう。
ルノー出身で日産のCOOになったゴーン氏の仕事ぶりには驚くことが多かったですね。今、思い返しても徹頭徹尾ロジカルな人でした。まず、会議には1分たりとも遅れない。30秒前には必ず席に着くんです。なぜかというと、仮に自分が会議に1分遅れた場合、会議に参加している人の時間をどれだけムダにするのか、それが会社にどれだけの損失を与えるのか、ということを常に計算しているんです。
例えば部長クラスが20人参加する会議なら、人件費と人数を計算すると、1分待たせたら10数万円の損失になる——と考えるわけです。私が知る限りでゴーン氏が会議に遅れたのは1度だけで、それも前にいた会議室の時計が遅れていたためでした。2分遅れて会議室に入ってくるなり、彼はまず頭を下げて「みんなの時間を無駄にして本当に申し訳ない」と謝罪したんです。
会議自体も、とてもムダがないものでした。最初に「今日の会議は何を決める場なのか」を確認して、会議が終わるまでには絶対に決めるんですね。決めるべきことが明確でなければ指摘するし、決めるための材料がそろっていなければ「明日決めるから、資料をそろえて出直してこい」と言うんです。ここ10年くらいで、このような会議の進め方が当たり前になってきましたが、当時はこんなロジカルな進行をする会議は見たことがなかったので、とても驚いたのを覚えています。
ゴーン氏は何をするにも、「何のためにやるのか」「誰のためにやるのか」「どんな価値を生むのか」ということを常に考え抜いていました。こうした考え方に触れているうちに、私も「課長だろうが部長だろうが関係ない、やらなければならないことに対しては、リソースとタスクを明快にしてやりきるしかないんだ」と考えるようになりましたね。
──亀山さんは資生堂時代に、数々の企業改革を手がけたプロ経営者、魚谷雅彦氏とともに仕事をされています。どんな影響をうけましたか?。
魚谷氏の改革手法からも、学ぶことがたくさんありました。魚谷氏は、1872年創業の老舗化粧品メーカーである資生堂を「グローバルで成長できる企業にする」「100年先まで続く企業にする」というミッションを掲げて社長に就任しました。これは、企業としてのコアを守りながら、変えるべきところは変えていく——という仕事ですから、トップの手腕が問われます。
結論から言えば、魚谷氏が社長に就任してから4〜5年で、ペーパーレスが進み、英語が公用語になり、挑戦を恐れず失敗から学んでまた挑戦する、という文化が浸透しました。これは魚谷氏が、社員に対して「これからの資生堂のありたい姿」を明快に示し、常に「それを実現するためには何を守り、何を変えていく必要があるのか」を丁寧に説き、自身も実践したことが大きいと思うんです。
魚谷氏が来る前の資生堂は、チャレンジしようという文化はあるものの、できるだけ失敗しないよう、関係者の間でコンセンサスをとって着実に丁寧にプロジェクトを進めていました。もちろん、準備を重ねて丁寧に進めるのはいいことなのですが、どうしてもスピード感に欠けてしまうんですね。そこに対して魚谷氏は、CEOに就任してすぐ「まず、やってみよう、すぐ動こう」という方針を打ち出しました。紙で配っていた経営会議の資料は、CEOに就任した直後に「今日から紙はいりません。数枚のPowerPointにしてください」と言い、社内メールも「“様”はいりません、“さん”でいいです」というように、自分が実践したいマネジメントの姿を明確に示し、フラットでスピーディーな意思決定ができる組織に変えるための取り組みをスタートさせたのです。
2014年には「動け、資生堂。」をスローガンとする中長期戦略「VISION 2020」を発表するとともに、それを実現するために「トライ&エラー&トライ」の精神で行こうと社員に呼びかけました。「失敗を恐るな。挑戦して、失敗して、また挑戦することこそが大事なんだ」というわけです。
魚谷氏がすごいのは、自らこの精神で動くとともに、リーダー層の背中を押して、リーダー・実務層にどんどん挑戦させるところです。VISION 2020では、2020年に売り上げ1兆円超、営業利益1000億円超を実現することを目指しており、今まで通りのやり方ではとうてい目標を達成できない。目標達成の鍵となる「資生堂のグローバル化」、「個々人が自律的に動く風土」を成し遂げるために、変えるべき文化は変え、従業員、個々人が持っているポテンシャルを上げ、徹底引き出そうとする「People First」の取り組みなど、なんとしてでも目指す姿に到達しようとするわけです。それをやりきるための本気度が桁外れで、決して諦めない。
何かうまくいかない施策があったとしても、すぐに報告させ、一緒に課題を整理し、別のロジックで解決できると思ったらすぐ、関係者を集めて徹底的に議論して、今日明日という時間軸で対応策を決めていく——というように、とにかく動きが徹底し、意思決定が早いんです。なぜ、資生堂は変わらなければならないのか、を事実や生の声で明快に示し、社員が新たな文化を受け入れるよう背中を押し、何が何でも資生堂のグローバル化をやりきる——という魚谷氏の志には圧倒されました。
ゴーン氏と魚谷氏に共通しているのは「企業が価値軸を変えなければならない時に、その示し方が明快である」というところだと思っています。企業が成長し続けるためには、組織構造やビジネスモデルを変えなければならない時期があり、その時には「仕事をする上で大事にする価値観の軸」も大きく変わります。その価値軸の変化を、企業のありたい姿と現状を比較することでわかりやすく説明し、社員の背中を押し、組織に浸透させ、新しい文化を根付かせる——という一連のプロセスをトップダウンでやりきるところが両氏に共通するものであり、変革リーダーに欠かせない資質なのだと思います。
歴史ある会社を変えるために重要なこと
──日産と資生堂は、外から入った外資系出身の経営トップが強いリーダーシップで企業を変えていく——という形の改革ですが、亀山さんがCDOとしてDX(デジタルトランスフォーメーション)を推進した三菱マテリアルは、違う形の改革だったとお聞きしています。
そうですね。日産と資生堂は、いわば「外圧で変える」という改革スタイルでしたが、三菱マテリアルはプロパーがほとんどという役員構成のまま「中から変える」というスタイルでした。その意味では、たしかにこれまでとは違う難しさがありましたね。
──DXプロジェクトを進める中で、これまでとは異なるどのような難しさがあったのでしょう。
経営トップや役員構成はそのままに、新たな文化を浸透させていくのは、外から来た社長がトップダウンで変革するのと比べて難しい面があります。三菱マテリアルは1871年創業という歴史ある会社ですが、2017年に発覚した品質問題をきっかけに企業改革を推進していました。DXもその一つで、私はこの「MMDX」と銘打ったプロジェクトの本部長として2020年2月に三菱マテリアルに入社し、2020年4月にDX推進本部を立ち上げたのです。
このプロジェクトは、「顧客接点強化」「プロセス連携」「経営のスピードアップ」などの視点から取り組むべきテーマを決め、6年間で400億円超を投じるという大掛かりなものでした。三菱マテリアルが長い歴史の中で培ってきたコアバリューを守りながら、これからの成長のために変えるべきところは変えていこう——という方針です。しかし、このプロジェクトを提案している最中に起こったのがコロナ禍だったのです。稼ぎ頭であるプロダクト型事業部門の主要顧客が、コロナによる影響をもろに受けた自動車業界と航空会社業界だったことから、三菱マテリアルも事業の先行きが厳しくなったんですね。
ちょうどMMDXの提案を固めている時期だったのですが、社内は次第に「このままだと決算は厳しいものになるから、7月から予算は徹底削減して、止められるものは止めないと……」という空気になってきたんです。歴史ある会社ですから、そこはとても慎重なんですね。一方で私たちDXチームは、毎週のように経営会議でDXの推進について説明していたのですが、「まだ着手していないなら止めた方がいいのでは」「400億円かけてまでやらなくても大丈夫なのでは」という声が囁かれるようになってきたんです。
DXは、これまでの企業文化を否定するようなことすらある取り組みですから、経営陣とリーダー層が同じ志のもと、覚悟を持って本気で推進しなければ変わることはできません。しかも、失敗すればせっかくの投資がムダになってしまいます。コロナのような非常事態を前に慎重になる気持ちは、とてもよくわかるのですが、だからこそ、次に同じようなことが起こっても成長し続けることができる強い組織を今、つくらなければならないわけです。まさに「価値軸を変える時」であり、それは役員の協力なしには実現できません。どうしたら全ての関係者にとって、DXが自分ごとになるのか——。ゴーン氏や魚谷氏がトップダウンでやってきたことを、今度は自分がCDOとしてやることになったんですね。
これは、歴史ある日本企業がDXで変わることのメリットを知りつくしている私にこそできる改革ですから、やり切るしかない。ものづくりに長けた一流企業が、フラットでスピード感のある組織に変わることで、どれだけ成長できるのかを、何としても知ってほしい——。ハードルは高いですが、覚悟を決めて取り組みました。なぜ三菱マテリアルにDXが必要なのかを役員たちに理解してもらうために行ったのは、ほぼ毎週の執行役会での論議と役員合宿でした。理解を深めると共に、腹を割って議論して、全員の合意のもとにDXを自分事化してもらおうという作戦です。
参加する役員全員が「DXをやりたい、やらなければならない」と思うようなシナリオを1週間かけて作成し、合宿の当日は、そのシナリオをベースに競合他社の取り組みを説明したり、他社の役員にDXについて「うちだってこれくらい取り組んでいる」と話してもらったり——という形で進めました。その日の夕方には、参加した全ての役員から「DXを推進しよう」ということで合意を得られたのはうれしかったですね。三菱マテリアルの目指す未来のために、MMDXがどのような役割を果たすのかを、明快に示すことができたと実感した。ようやく、DXのスタート地点に立てたのです。
これからのリーダーに伝えたいこと
──日本企業の改革がなかなか進まないといわれていますが、亀山さんはその理由をどのようにお考えですか。また、日本企業が改革を起こす上で欠かせないのは何だと思いますか。
改革を起こす上でのポイントは「価値軸」と「人材」だと思っています。経営者は「会社をこんなふうに変えていくんだ」「こんな新しい働き方を取り入れていくんだ」という価値軸を明快に示すことが重要です。そして、それを実行するために覚悟を示し、やりぬくことができるリーダーを増やすことが大事だと思っています。
日本企業は今でも、ヒエラルキー型の組織が少なくありませんが、その色が強くなりすぎると、部下が自身の持つ能力を存分に発揮できません。これは会社にとって大きな損失です。改革を推進するリーダーは、ただ指示を出して従わせるのではなく、部下の「こうしてみたい」「こんなことにトライしたい」という意欲を引き出し、それを企業の目指すビジョンといかに一致させていくかが大事だと思うのです。
このようにして部下の内発的動機を引き出すことができれば、自ら考え、行動する社員が増えて組織が元気になり、それがひいては会社の活性化につながるはずです。
企業の目指す姿を理解し、自分の部署がどのような形でそれに貢献できるのかを自分の頭で考えぬき、それをわかりやすい言葉でメンバーに伝え、フィードバックを取り入れながらチーム一丸となって前に進んでいく——。そんなリーダーが今、必要とされているのではないでしょうか。あとは経営トップが「ありたい姿」と、それを実現するための「価値軸」をしっかり定めていれば、会社はきっと目指す方向に変わっていくはずです。
私は、日本企業はもっともっと成長できると思っているんです。若きリーダーたちには、企業の持つ可能性はもちろん、人の可能性を本気でプラスに変えていってほしいですね。
著者について
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