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企業の「らしさ」を表現する香りのデザイン|Scenting Designer 深津恵氏
2024-4-5
オフィスやショールーム、空港のラウンジに入った時に、ふわりと漂ってくる香りに癒されたことはありませんか?香りは人の記憶に密接に結びついて強い印象を残すことから、企業のブランディングの手段として使われることも少なくありません。
そんな香りを使ったブランディングや空間デザインを長年、手がけているのがScenting Designerの深津恵さんです。深津さんはこれまで全日本空輸(ANA)、ルイスポールセン、トヨタの高級車レクサスなどのブランドを表す香りの制作や、香りを使った空間デザインのプロジェクトに多数参画してきた香りの第一人者として知られています。ROUTE06が新たに入社する従業員向けに提供している「The Day One Box」の第2弾として制作した「ROUTE06の企業理念を表現したアロマオイル」も、深津さんの手によるものとなっています。
香りでブランドや空間をデザインするとはどんなことなのか、それはどのようなプロセスで生み出されるのか、香りは人に何をもたらすのか――。深津さんが香りを仕事にするまでのストーリーとともにお伺いしました。
深津恵氏 プロフィール
Scenting Designer、大分県日田市生まれ。18歳まで大自然のなかで過ごす。20代のはじめに、航空会社で働いた経験がホスピタリティーを培う原点となる。その後、香りの世界へ。『@aroma』の立ち上げから携わり、ANA、ルイスポールセンなど、数多くのカオリ制作や空間デザインのプロジェクトを国内外で約20年にわたり手掛ける。香り素材を発掘するアロマプランツハンターとして産地での活動も。近年は、大学での教鞭、講演やセミナーも行い、この文化を広げることに尽力。2020年「A Green」設立。著書『Scenting Design -カオリしつらえ-』。
仕事のストレスを癒してくれた“ 香り”の力に魅せられて
──“香り”を仕事にするようになったきっかけはなんですか。
働き始めて何年か経ったある時、香りの持つ力を再発見するとともに、実は自分が故郷で“香りの英才教育”を受けていたことを思い出したのがきっかけでした。大学を卒業して最初に働いたのは航空会社で、お客様にとって心地よいおもてなしをすることに、とてもやりがいを感じていました。しかし、空の上という閉ざされた空間の中で人工的なものに囲まれ、多くのお客さまと接することに疲れてしまった時期があったんです。
ちょうどその頃、アロマセラピーという香りを使った自然療法が欧州から日本に入ってきて、ちょっとしたブームになっていたんです。香りが人を癒すという発想に惹かれて興味を持つようになりました。セラピーには植物から抽出した精油を使うのですが、小さな瓶のふたを開けた時、ものすごくいい香りがふわっと広がったんです。その力強さに本当に驚いて……。植物の精油一つひとつに異なる効果があるのも、とても興味深かったですね。ほっとしたり、落ち着いたり、やすらいだり、元気が出たり……。そうやって自分自身が香りに元気づけられたり癒されたりしているうちに、すっかり、香りの虜になってしまったんです。
中でも私は、木の香りをかぐととても気持ちが安らいだんです。これは私が、故郷である大分県日田市の実家で、木の香りに包まれて育ったからなんですね。父が林業を営んでいたこともあって、家にはいつも心地よい木の香りがしていました。常に自然の香りが空間にあることの効果について、しらずしらずのうちに英才教育を受けていたんです。その効果を、アロマセラピーや精油の香りを通じて再発見したのです。
──それを一生の仕事にしようと思ったのは。
初めは趣味で楽しんでいたのですが、次第にこれが天職なのかもしれないと思うようになったんです。これから先のキャリアを考えた時に、自分がずっと続けたくて、自分にしかできない仕事は本当に航空会社の仕事なのか、というのが頭の中にあって。一方で香りの仕事は、小さい頃からいつも木や草花の香りが身近にあったおかげで鼻がよかったですし、何より生涯をかけて取り組みたい、探求したいと強く思ったんです。──アロマセラピストではなくアロマ空間デザイナーを選んだのは。
最初はアロマセラピーを学んでいて、セラピストを目指していました。英国の国際ライセンスを取得するために勉強したのですが、カリキュラムの半分くらいを解剖生理学が占めているんです。人の体についてとても本格的に深く学ぶんですね。それを学ばないとアロマセラピーを学ぶことができないんです。人の心と体について、また、香りがもたらす効果について、深く学んだ1年でした。
ライセンスを取得してから、アロマセラピストとして施術をしていたのですが、次第に課題が見えてきて……。一人の人にトリートメントを施すことで、その方が回復していくのを目の当たりにするのは、とてもやりがいがあることなのですが、もっと多くの人に香りでアプローチできないか、と思うようになったんです。オフィスや駅、商用施設など、多くの人が集まる空間に香りがあれば、より多くの人に香りの良さや効果を知ってもらえますよね。“ デザインされた香りを空間にしつらえる”ということが、まだあまり知られてなかったこともあって、「香りの未知の領域にチャレンジしてみたい」と、強く思うようになりました。
──メソッドが確立していない中でのチャレンジだったのですね。
たしかに当時、空間に合わせて香りをデザインするためのメソッドはなかったですね。香りを専門とする方々に必要な要素ごとに教えていただきながら、香りで空間をデザインすることの意味や、どうやったらそれができるのかを考えて知識を蓄え、経験を重ねていきました。そうするうちに、次第にそれを形にできるようになりました。
香りについて教えてくださった方々、空間に安定的に香りを展開するための設備を一緒に開発してきたアットアロマ社……さまざまな方々の協力があって、今があると思っています。
──空間には多くの人がいて、人の香りの好みは多種多様です。“ すべての人にとって心地よい香り”をデザインするのは難しいのではないでしょうか。
みんなが良いと思うかな、大丈夫かな、という気持ちはゼロではなかったですね。でも、たとえば四季折々の花が咲く森の中に行って、その香りを感じた時に、多くの方はそれをプラスにとらえると思うんです。植物からとれた自然の香りであれば、きっと多くの方々が心地よく感じてくれる――。そんな確信があったからこそ、これまでこの仕事を続けられたと思っています。人が日々の暮らしを営む中では、疲れたり体調が悪かったり、という日もありますよね。そんなときに空間に漂う心地よい香りで、「ちょっと元気が出てきた」「もうちょっとがんばってみよう」と、ポジティブな気持ちになっていただけたらうれしいですね。
アロマで空間をデザインするということ
──アロマで空間をデザインすることで、深津さんは何を表現しようとしているのでしょうか。
そこにつながるお話だと思うのですが、実は一時期、香りのアーティストであるべきか、デザイナーであるべきか迷った時期があるんです。
たとえば、ある空間に「こういう香りがいいでしょう」という形で自分の作風をベースに提案をするのか、あるいは空間という場とそこにいる人に合わせて、私というフィルターを通して香りを提案するのか――。仕事を続けるうちに、私が手がけていきたいのは、空間と香りに対するニーズや要望、必要性を理解してそれに合った香りを提供する「香りのデザイン」だと思うようになりました。
──香りをデザインする上で大事にしていることはありますか。
香りの元になる素材や原料を深く知り、理解することをとても大事にしています。香りには原料になる植物があり、樹木や木の葉、木の幹、果皮などから香りの成分を抽出するのですが、産地や生産された年によって、香りが少しずつ違うんです。さらに、育った場所、誰がどのような方法で抽出するかによっても変わってきます。それぞれが生き生きとした有機的なものであり、異なるメッセージを送っているように思えるんです。
レストランの料理でも、シェフが食材の産地に愛着が持っていると、生かし方が違ってきますよね。それと同じような感覚だと思います。原料となる植物との出会いが楽しくて、「アロマプランツハンター」を名乗って、国内外を旅しているんです。いつか情熱大陸に出たいな、なんて思いながら(笑)。
──プランツハンティングをする中ではどんな発見がありますか。
さまざまな植物の産地を旅して思うのは、世の中にはまだ、未活用のものがたくさんある、ということですね。「良い部分だけ使ってあとは捨てているのがもったいない」「形は悪いけれど香りは関係ないから、処分せずに使えたら農家の方々の副収入になるかもしれない」といったことが多々あって、こうした未活用の植物から香りを抽出できないかと考えています。
あとは、産地の方々との関わりですね。良い香りを抽出できる植物をつくるにはどうしたらいいかを一緒に考えたりすることはとても多いです。生産者の方々とおつきあいさせていただくと、感謝の気持ちでいっぱいになります。香りの仕事は原材料あってこそできることなので、自然と人とが良いバランスで共生していかなければ成立しません。
空間に香りがあることで、そこにいる方々がいかにハッピーな気持ちになれるか――。それをより良い形で実現するためには、生産者の方々も私もハッピーでなければなりません。そんな思いで、常に一緒に何ができるかを考え続けています。
──空間を香りでデザインすることのやりがいは。
香りによる空間デザインは、香りができてそれが空間に広がったところがスタート地点なんですね。時間帯や季節によって感じ方は変わるので、いかにして変化していく環境や人の気持ちに寄り添うことができるか、という挑戦がそこから始まります。それがやりがいであり、楽しみでもありますね。
企業やブランドを香りで表すということ
──深津さんはレクサスのショールームやANAのラウンジなど、企業やブランドを「香りで表現する」仕事も手がけています。どのようなきっかけだったのですか。
ある時期、「香りを使ったマーケティング」が世界で大きなブームになったんです。香りと記憶はとても密接に関わっていることから、それをブランド認知に活用しようという企業が増えたんですね。ホテルなどのホスピタリティを大事にする業界を中心に、自分たちらしい香りとはどのようなものなのかを考え、それを空間にしつらえておもてなしする、ということがブームになりました。それに伴って、自社やブランドを香りで表現したいというご要望が増えて、私のところにも依頼が来るようになりました。
──「企業やブランドを表す香り」はどうやってデザインするのでしょう。
まずはどんな企業、ブランドなのかを知るために、関係者に話をお聞きします。香りで企業やブランドを表現する際に欠かせない「リサーチ」のプロセスですね。お話をお聞きする中で、会社として大事にしているところをキーワード化して書きとめます。そのキーワード――たとえば誠実、幸せ、信頼、前進、オープンマインドなどといった言葉を香りで表現するために、どんな香りが最も意味があるのか、それを表現するためのどんな方法があるのか、といったところを考えます。
こうしたワークをするうちに、次第に「この企業やブランドを表す香りはどのようなものなのか」というところが見えてくるので、それを具体的な香りに落とし込んでいきます。これはイメージを言語化する作業に似ているかもしれません。この言語化するところを香りで表現しているという格好です。
──昨年はエンタープライズ向けにプロダクト開発を行うスタートアップ企業、ROUTE06の香りをデザインされました。ROUTE06の香りをつくる上でコアとなるものはなんだったのでしょう。
ROUTE06さんには当初、3種の香りの試作品をお渡しするはずだったのですが、偶然にも社名と同じ6種類の試作品をお渡しすることになりました。6つの香りの要素として入っているのは、社員の方々からよく聞く言葉――未来、多様性、ワクワク、幸せ、自然体などといったものでした。こうして出てきたワードを絞り込むことはせず、すべてに盛り込んだイメージですね。違う言葉同士で6パターンあるような感覚です。
──実際に出来上がった香りはどのようなものなのでしょう。
前進、ワクワクといったポジティブな言葉には柑橘系の香り、実直、集中、優しさを表したキーワードにはラベンダー系の香りを使っています。社員の方々とお会いした時に感じた信頼、実直、安定、安心といった雰囲気には、シダーウッドやローズマリーを合わせました。ヒアリングの中で出てきた、個性豊かで多様性があるROUTE06の方々がチームをつくって社会に関わる仕事をする中で何かを紡いでいく――という言葉に共感して、コミュニケーションやつながりをイメージした香りは、フレッシュなオレンジで表現しています。
試作の香りから1つに絞り込む、というのではなく、すべてを選んだ点が、ROUTE06さんらしいと思いました。
人が心地よく生きていくための香りをデザインし、伝える
──香りの魅力をどのように伝えていきたいとお考えですか。
香りがあることで、人が幸せな気持ちになったり、ポジティブになったり――というように「心地よく生きていくこと」につながれば、と思ってデザインしていますし、香りにはそういう力があると思っています。 本物の植物の香りには、それぞれ存在する意味があると思っていて、私はそれを探り、必要な人に届けるための案内人という役割を担っているように感じています。香りの案内人として、そしてプランツハンターとして、人の暮らしや感性に寄り添っていきたいですね。
著者について
ROUTE06では大手企業のデジタル・トランスフォーメーション及びデジタル新規事業の立ち上げを支援するためのエンタープライズ向けソフトウェアサービス及びプロフェッショナルサービスを提供しています。社内外の専門家及びリサーチャーを中心とした調査チームを組成し、デジタル関連技術や最新サービスのトレンド分析、組織変革や制度に関する論考、有識者へのインタビュー等を通して得られた知見をもとに、情報発信を行なっております。